海軍霞ヶ浦航空隊 飛行学生 


1922年(大正11年)11月 日本海軍(航空)は、茨城県霞ヶ浦に、
陸上80万坪、水上290万坪という広大な飛行場を開設した。

東中光雄が、霞ヶ浦航空隊に立ったのは、1944年(昭和19年)4月だった。
昭和19年3月31日に
海軍兵学校教程卒業ヲ証ス(73期)
海軍少尉候補生ヲ命ス
海軍練習航空隊飛行学生ヲ命ス(42期)
辞令を受けて、赴任した。

訓練は、93式中間練習機(赤とんぼ)陸上機による飛行訓練である。
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「飛行学生の歌」 というのがある。
♪狂瀾怒涛に鍛えたる 鉄腕今また翅生ぬ
  男の中の男ぞと 見下ろす眼下雲靡く
筑波山頭朝風に 爆音高く飛び立たば
  荒波吼ゆる太平洋 俺の舞台にゃ未だ狭い
♪ウラル、アルタイ手ばさんで コンロン、ヒマラヤ下駄にはき
  北シベリヤを過ぎゆげは モスコーにゃ既に数時間 
♪今朝ベルリンの郊外で ミュンヘンビールに酔いふすも
  一度ハンドル把り持たば 夕べにゃ既に阿見ヶ原
♪明日は襲わんワシントン 大洋一気にのり越えて
  ロッキー山を蹴飛ばして ヤンキーの度胆打ちぬかん
♪俺もゆくから君もゆけ 狭い下界にゃ住み飽いた
  空だ男の征く所 華と散ろうぞ国の為
  雲を眺めて悠々と 空征く心誰か知る

昭和20年3月 弱冠20歳で海軍中尉となり、霞ヶ浦航空隊の操縦教官になった。

4月には、米軍が沖縄に上陸し、6月には全島を占領していた。
本土上陸を阻止すべく東中光雄海軍中尉は特別攻撃隊に志願した。