東中光雄物語第3回編集委員会
第3回編集委員会を開きました
第1期
貧乏人の子沢山
農作業が身体を鍛える
ススメススメヘイタイススメ
傷痍軍人の父と中学進学
鉄棒で優勝 手榴弾投げ
高田好胤氏のこと
海軍兵学校
第42期飛行学生
零式戦闘機特攻隊長
第2期
同志社大学入学
高等文官試験
司法修習生
弁護士登録
加藤充法律事務所
東中法律事務所開設
占領法規との闘い
吹田事件
枚方事件
論文「圧制に対する人民の抵抗権について」(枚方事件)
最終弁論「警備警察の弾圧体制と本件大衆行動について」(吹田事件)
著作「裁判官論」(「日本の法律家」に所収)
勤評闘争
税金「虎の巻」事件
民商小貫事件
アジア法律家会議
民主法律協会設立
第3期
1、参議院議員予定候補としての活動
2、衆議院議院初当選
3、衆議院議院運営委員会
(1)史上最長
(2)最初の仕事、最後の仕事
4、16人の内閣総理大臣と対峙した
5、外国要人との交流
6、歴史的事件を追及した
天六ガス爆発
ロッキード事件
ハイジャック事件
リクルート事件
オウム真理教事件
ベトナム戦争
湾岸戦争
7、議院運営うんちく
白票青票
懲罰事案の弁護人
8、小選挙区で落選
第4期
クラボー人権裁判
戦没者の妻特別給付金国賠訴訟
書き方
一人称は、時代背景をいれにくいので、
「光雄少年は・・」「東中中尉は・・」「東中弁護士は・・」「東中議員は・・」で書く
落ちのない話では困るので、序文と結論を潤色してわかりやすく書く
次回日程
6月5日(金)12:30
次回には、各期とも原稿すべてをほぼ完成させて持ち寄る
16人の内閣総理大臣と対峙した男 その1
東中光雄衆議院議員は、16人の内閣総理大臣に対する質問に立ちました。
昭和46年07月21日衆議院予算委員会 佐藤榮作内閣総理大臣
○東中光雄委員 私が申し上げているのは、現実に起こっているベトナムの戦争、それについては具体的な根拠がなしに、アメリカ側の結論だけで、あれは自衛行動だ、国連憲章による自衛権の行使だということで協力をしているという体制になっている。事実は違うじゃないか。違うということが、すでに具体的な事実として次々と明らかになってきているわけですよ。それは、当時政府は知らなくて――知っとってやっておったと言ったら、これはまさに共犯者ですけれども、知らなかったというのだったら、知らされないような状態の中でその戦争に協力する、あるいはその戦争の補給基地として、あるいは通過基地として、あるいは補修基地として使われてきている。そういう根拠になっている安保条約は非常に危険なものじゃないか。これは政府の立場から見て――私たちの立場から言っているのじゃないです。政府の立場から見たって非常に危険じゃないか。だから、当然そういう問題として、ベトナムの戦争におけるアメリカの実際の行動はどうだったのかということを、政府としては正式にアメリカに追及をし、事実を明らかにする。単にたまたま暴露されたものだけだからというのではなくて、たまたま暴露された問題の中に非常に重要な問題が入っている。日本の安全、アジアの平和にかかわる最も重要な問題、あるいは戦争犯罪への協力者ということになりかねない、そういう事実が入っているのですから、それについて、事実はどうかと当然追及されるべきじゃないか。実質的な立場に立っている限り当然そうあるべきだと私は思うのですが、いかがでございましょう。
○佐藤榮作内閣総理大臣 先ほど外務大臣代理からも、その問題についてはワシントンの政府と十分交渉して材料を確かめたい、かように申しておりますから、その点ではそのほうにまかしていただきたい。また、国内において印刷物あるいはビラを刷ったとかどうしたとかいうような点は、いわゆる直接作戦行動の問題ならばこれは事前協議の対象になりますけれども、施設区域の使用、そういうような問題は、これは別個の問題のように思います。別に事前協議の対象にはなっておらない。これはなっておれば、いままでもイエスもあればノーもあるということを申しておりますから、そういう処置がとられると思いますけれども、ただいま言われるように、どうも施設区域を安保のもとで提供しておりますから、その施設区域の使用、これがいわゆる直接作戦行動の問題でない限り、これは自由にある程度使っておる、かように私は理解しております。
昭和48年03月30日 衆議院予算委員会 田中角榮内閣総理大臣
○東中光雄委員 最初に総理に、最高裁裁判官の任命に関してちょっとお聞きしたいのですが、いま田中二郎裁判官が辞表を出され、また石田和外最高裁長官が定年でやめられる時期が迫ってきています。こういう中で、その後任の人事、内閣の任命の問題が差し迫った問題になっているわけですけれども、ここで前の法制局長官だった高辻正巳さん、また法務事務次官だった津田實さんが下馬評に上がっておる。こういう状態で、下田裁判官の場合もそうでありますけれども、最高裁の裁判官の任命で、最近行政府の、あるいは行政官として活動してこられた人たちが横すべりしていくというかっこうになっている、そういう傾向が非常に顕著であります。また内閣の法制局長官、ずいぶん長い間やっておられた人ですし、法務事務次官も三年以上もやっていた人です。こういう形で最高裁に行政府から、人事面で最高裁が行政府の出先みたいなかっこうになっていく面が見られますので、こうした任命についての基準をどうお考えになっているのか、この点をお聞きしたい。
○田中角榮内閣総理大臣 いま御指摘になったような方々は、まだきめておりません。いずれきめなければならないと、こう考えておるわけでございます。
最高裁の長官及び最高裁の判事は、御承知のとおり憲法及び裁判所法の定めるところに従い決定をするわけでございまして、特に最高裁の長官、最高裁判所の判事につきましては、その職責の重要なるにかんがみまして、その識見、法律上の素養、その他公正なる判断を期待し得るあらゆる要素を勘案いたしまして、慎重に人選を行なうことにいたしておるわけでございます。
○東中委員 きまってから聞いたんじゃ、これは役に立たぬから、迫ってきておるから聞いておるわけなんであって、高辻さんなり津田さんなりが下馬評にあがっていることは、これはもう司法界でも事実でありますし、こういうものについて、抽象的なことでなくて基準がはっきりしていないと、最近特に行政府から、あるいは行政官だった人が最高裁判事になる、そういう任命をされるのが多いわけでございますので、そういう方向ではいけないという点を言っておるわけですから、その点についてどうかということと、そういうことをやらないということかどうか、その点。それから、最高裁の裁判官の任命についての諮問委員会のようなものをつくったらどうか。昭和二十三年段階ではあって、その諮問委員会の推薦に基づいてやられた、こういう経緯もあるわけですが、そういう諮問委員会をつくる意思があるかどうか、この点いかがでございましょうか。
昭和50年10月16日 衆議院議院運営委員会 三木武夫内閣総理大臣
○東中光雄委員 総理にお伺いしますが、いま国民の中で、長い間自民党政治が続いている中で、自民党政府の国会答弁の実態を国民が見ています。そういう中で、自民党政府の国会答弁、大臣答弁と言えば、それはいいかげんな答弁の代名詞のようにさえ使われています。三木内閣の国会答弁も、質問にまともに答えないはぐらかし答弁がある。何を言っているのかわからないあやふやな答弁もある。検討するとか善処するとか言って、実際に何もしない、誠意のない紋切り型の官僚答弁もある。あるいは実行しない空公約の答弁もある。政府委員に任せて答弁を回避する大臣の無責任な答弁、あるいは長々と質問にかみ合わない時間つぶしの引き延ばし答弁さえある。こういうのをいいかげん答弁だと国民が言っているのだと私たちは思うのです。
そこで、こういうやり方というのは、国権の最高機関である国会の軽視であり、また議会制民主主義を実質的にはじゅうりんしていくような内容さえ持っている。憲法の六十三条の大臣の出席義務と答弁義務、これにも実質的に反していくようなそういう実態になっておる。この青森における仮谷建設大臣の発言は、それを国会答弁のようないいかげんなものではない、国会答弁はいいかげんなものなんだ、ここで言っているのはそうでないのだ、こういう言い方をして、国会答弁のいいかげんな答弁を肯定し、肯定することを公言する、こういう性質を持っているわけです。だから、私たちはこれはきわめて重大な発言である、こう思っておるわけですが、それについて総理はどう考えられるか
○三木武夫内閣総理大臣 まあ、しばしば私は言いますように、これは非常に軽率な発言である。三木内閣の国会答弁がいいかげんなものであろうはずはないわけです。われわれは、やっぱり国権の最高機関として、政府の国会答弁を通じて、野党あるいはまた国民の理解を得たいということで、一生懸命に答弁をしておるわけであります。いいかげんなものでは断じてない。それにかかわらず、仮谷発言というものは、これは非常に軽率な発言である、こう考えております。
昭和52年10月12日衆議院予算委員会 福田赳夫内閣総理大臣
○東中光雄委員 赤軍を名のっておるいわゆる赤軍派、私たちはこれは暴力犯罪者集団と言ってもいいと思っているわけでありますが、これらの連中がやったハイジャックは全部で三回になっています。御承知のように最初の「よど号」事件、続いて四十八年七月二十日のいわゆる日航ジャンボ機ハイジャック事件、この事件が起こったとき、総理の言われる、鉄は熱いうちに打て、ということだったと思うのです。一月余りで政府が対策要綱を発表しておられます。
この状態を見てみますと、「ハイジャックを防止するための最も有力な決め手」は「まず武器を機内に持ち込ませない」ことだ、こういうふうに対策の中で言っております。そして、たとえば「持込手荷物検査およびボディ・チェックの徹底」ということを掲げて、「当面東京空港の国際線においては、出発ゲートおよび搭乗ゲートにおいて、二重のチェックを実施することとする。」というふうになっています。また、ほかの項目では、「外国空港における持込手荷物の検査については、各国それぞれの検査制度によって実施されているが、その万全を期するため、日航独自の検査を検討し、実施することとする。」というふうになっています。
四十八年八月三十一日にこういう閣議の了解決定がなされて四年たちますけれども、今度のボンベイからのあのハイジャッカー五名の乗り込みがもう間違いなしに推認されておるわけでありますけれども、ここではここで言われたようなチェックは全然やられていない。対策要綱で政府が決めて、そして、その決めたことが実施できないことであるのに実施するものとするというふうに決めたのだとすれば、これは無責任きわまるということになると思うのです。実施できることを今度はこの四年間何にもしてなかったということになれば、これは全くの怠慢ということになると思うのです。それで、熱いうちに打つのはいいのですけれども、対策をつくるだけでこういう状態に置かれてきて、今度の最も凶暴な再発といいますか、三回目のハイジャックを許した。私は、これは政府の重要な責任だと思うのです。その責任をはっきりとさせた上で次の対策を決めなければだめだと思うのでありますが、総理の責任及びその決意というものをお伺いしたいと思います。
○福田赳夫内閣総理大臣 ハイジャックは今回が初めてじゃないので、ハイジャック並びにこれに類似した事件がいろいろあったわけです。それにかんがみまして、政府におきましては、これの再発防止のための何十カ条という多くの施策を講じたわけでありますが、いま御指摘のありましたダブルチェック、これなんかにつきましては、今回痛感されたところでございますが、実施されておらぬ。つまり外国空港におけるダブルチェックの問題です。これは実施されておらぬ、こういうことを率直に申し上げることができると思うわけであります。今回の事件がそういうところから起こったのか起こらないのか、これはまだ原因分析ができておりませんから、はっきりは申し上げられませんけれども、とにかくその辺にも今後の問題として問題がある、こういうふうに考えまして、これをどういうふうに実施するか、それについて目下協議中である、こういうことでございます。
昭和55年02月09日 衆議院予算委員会 大平正芳内閣総理大臣
○東中光雄委員 自衛隊法上は防衛機密ということについての定義もなければ規定もないということは、いまMSA秘密保護法について私は言っているのではないので、その点は認められたと思うのです。
それで、きのうの新聞報道によりますと、外務大臣、法務大臣、官房長官ですかが協議になられて、自衛隊関係者の秘密漏洩罪の罰則強化について検討するというような方向を出されたという報道が一部でなされております。それからまた、防衛庁は秘密保全体制検討委員会で自衛隊法の罰則強化の改正を含めて検討する、亘理事務次官がそういう方向を出したというふうにも報道されておるわけでありますけれども、先ほどの総理の答弁では、秘密漏洩罪の罰則強化へ向けての、秘密漏洩罪といいますか、自衛隊法の秘密漏洩の罪の罰則強化を含めて検討するというようなことはないというふうに言われたと思うのですが、その点は一体どうなのですか。
○大平正芳内閣総理大臣 いま当面、このスパイ事件の後の処置といたしましては、自衛隊の内部の秘密保持体制の総点検をやるということにいたしておりますことは御案内のとおりであります。それが当面われわれの任務でございまして、政府として、このスパイ事件があったからいま直ちに自衛隊法の改正を国会にお願いするというようなことは考えていないということです。
昭和56年02月16日 衆議院予算委員会 鈴木善幸内閣総理大臣
○東中光雄委員 私は、最初に憲法の問題についてお聞きしたいのですが、総理は昨年の臨時国会から、いわゆる自主憲法期成議員同盟のことについてこう言われてきております。この議員同盟は憲法について三原則を堅持しながら憲法の問題を研究調査する、そういう団体と私は心得ておるわけでありまして、私はそういう立場でこれに加盟しておるんだということ、これは速記録に出ておるとおりでございますが、それで私たち、いろいろ検討いたしました。議員同盟の趣意書――綱領にも相当するところでありますが、これによりますと「現日本国憲法は、当時、占領軍によって一週間足らずで作られた英文の憲法をほぼそのまま日本文に訳した「押し付け憲法」であり、しかも日本の歴史と民族の伝統とを軽視した「占領基本法」ともいうべきものであります。」――これは趣意書でなくて、昨年出された会長名の文書に書いてあるわけです。趣意書には「連合国総司令官の指令に基いて作られたものであって、日本国民の自由意志によるものとはいわれない。」こういう規定をしています。日本国憲法が「日本国民の自由意志によるものとはいわれない」、これが議員同盟の憲法に対する見方であり、そこから出発して、押しつけ憲法である、また、占領基本法とも言うべきものだ、さらに、他国の憲法に必ずある国家緊急時の対処規定がないなど、独立国家としての憲法の体をなさないものである、こうまで言っております。
日本国憲法というのは国民の自由意思によるものではない、だから、この憲法はやめて新しい憲法をつくるんだ、自主憲法を制定するんだというのが議員同盟の趣旨だと思うのですが、総理は、日本国憲法を押しつけ憲法、あるいは自由意思によるものとは言えないというふうな考えを持っておられるのかどうか、その点をお聞きしたい。
○鈴木善幸内閣総理大臣 議員同盟は、御承知のように自由民主党の党員諸君が多数加盟をしておる団体でございます。そこで、まず私、申し上げておくのでありますが、自由民主党におきましては、現在、憲法調査会におきまして憲法の問題を調査検討を進めておるということでございまして、まだ、どこをどうするというような結論を得ておりません。憲法調査会で一応の成案が仮にできました段階におきましては、これを総務会にもかけなければいけない。さらに、国の基本法でございますから党大会にかけまして党としての決定がなされるわけでございます。そういうようなことでなければ、自由民主党の多数の諸君が参加しておるこの団体は勝手な歩きはできない、こういうぐあいに私は認識をいたしておるわけでございます。これが第一点でございます。
それから、この議員同盟のこととは離れて、日本国憲法が押しつけ憲法であるかどうかということについての私の認識を申し上げるわけでございますが、確かにあの当時は占領軍の大きな影響のもとに憲法がいろいろ進められてきたと思うのでありますけれども、最終的には国会におきまして議決、承認をされております。でありますから、一概に押しつけ憲法と決めつけるわけにはいかない、私はこう思っております。
戦争決別宣言決議案
東中光雄衆議院議員は、衆議院議院運営委員会の理事になり、戦争決別宣言決議案の緊急上程に反対しました。これが、足かけ28年にわたる議運での最後の仕事でした。
2000年(平成12年)5月30日(火曜日)衆議院議院運営員会
○大島理森委員長 次に、決議案の取扱いに関する件についてでありますが、本日、池田行彦君外五名から、自由民主党、公明党・改革クラブ、保守党
の三会派共同提案による戦争決別宣言決議案が提出されました。
本決議案の取り扱いについて御協議願います。
逢沢一郎君。
○逢沢委員 動議を提出いたします。
池田行彦君外五名提出、戦争決別宣言決議案は、本日の本会議において議題とされることを望みます。
○大島委員長 伊藤忠治君。
○伊藤(忠)委員 私は、次の四点の理由において反対をいたします。
まず第一点でございます。この戦争決別宣言決議案でございますが、正式に、今申されましたような提出者を含めて議運理事会の場に提案をされていなかったわけでございまして、文面を含めまして提案そのものに瑕疵がある、これがまず第一点でございます。
二点目は、国会の決議といいますのは、国会を構成する全国会議員の意思を一つにまとめて、世界平和を望みます崇高な理念、思想、考え方、実行の具体的な施策を含めて盛り込むものだと理解をいたします。したがって、不戦の誓いと称するのもよし、戦争決別と称するのもよし、その表題にふさわしい決議案を、全党が一致してこれを仕上げるというのが大前提だと考えております。過去においても、野党が反対する状況の中で、与党だけでこういう大切な決議案を数でもって強行するということは歴史になかったと思います。
そういう点からして、不戦の誓いあるいは戦争決別宣言というものは、とりわけそのような条件を満たしたものでなければいけないと考えております。これが二点でございます。
三点は、今も少し触れましたが、全会一致が前提であろうと思います。過去にもそうしてまいりましたし、今回のように、野党が反対する中で与党だけで多数を頼んでやっていくというようなことは、これは異常でございます。
しかも、きょうの理事会で、まさしくどたばたで上程の運びになるというようなことは、限られた時間の中で党内の検討もできない、こういう状況でございますから、絶対に納得できないものでございます。
第四点は、そのように見てまいりますと、明らかにこれは議会制民主主義のルールに反するものであって、我が国の国会におきます最重要決議案であるにもかかわらずそのことが守れないということであれば、議会制民主主義は死語に陥るだろう、こんなふうに考えます。何としても議会制民主主義にのっとって、案文の作成も与野党協議の上で、時間はまだ余っているわけですから、一日もあるわけですから、そこで誠心誠意詰めていくというのが、国会、議運理事会の役割であろう、委員会の役割でもあろう、このように私たちは考えます。
以上の理由によりまして、決議案を国会に上程するということについては反対をいたします。
以上です。
○大島委員長 東中光雄君。
○東中委員 今提案されたという戦争決別宣言決議案なるものは、私は、いまだ正式に見ておりません。
聞くところによりますと、議案課では、本日の午前十一時五十五分に提案がされたということであります。
議案の案件は、全議員に当然配られるべきであります。ところが、議運の委員会はもちろん理事会も、その案文はいまだ見ていない。理事会が終わってからと同時ぐらいに提出されたということになると思うわけであります。
極めて異例であり、それを本日の本会議にかけるというのは、これは議会制民主主義という点からいって異常である。
同時に、国会決議という点からいいましても、基本的に全会一致でやれるということであってこそ、初めて国会決議としての意味を持つわけでありますが、こういう形での提案というのは極めて異例であるということを申し上げたい。
内容については、戦争決別宣言決議は、自民党の野中幹事長が提起した不戦の誓い決議に端を発したものであり、自民、公明、保守三党の総選挙に向けた共通政策として出されてきたものであります。
戦争決別といえば聞こえはいいが、問題は、今何のためにこのような決議を国会がする必要があるのかということが問題であります。
戦争放棄、軍隊、陸海空軍その他の戦力を持たないこと、戦争する権利、交戦権を認めないことが憲法第九条に定められていることは、日本国民はもとより、世界じゅうの人々に知られていることであります。この九条こそ日本が世界に向かって戦争決別を宣言したものであり、これ以上の戦争決別宣言はないと思います。
しかも、憲法は国の最高法規であって、国会決議とは比べ物にならない重みを持っています。憲法九十八条、九十九条では、憲法は、国の最高法規であって、天皇、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と定められております。戦争決別を宣言するというなら、憲法九条の擁護をこそ決議すべきであります。
ところが、現実には、憲法九条を無視して自衛隊という名の軍隊をつくり上げ、日米ガイドラインとその関連法に基づき、アメリカのアジア太平洋戦略への加担、協力が進められています。アメリカの起こす戦争に日本が参戦し応援する仕組みが着々とつくられている。その上、憲法調査会では、政権与党の方から、公然と憲法九条改正が主張されています。
こうした一連の憲法九条を無視した現実政治と、今回の戦争決別宣言はいかなる関係にあるのか。それは、憲法九条無視の自民党政治を覆い隠すものにほかならない。そういう決議には賛成するわけにはまいりません。
今、森総理の、日本は天皇を中心とする神の国という発言が問題になっているのは、この発言が、戦前の日本において軍国主義、侵略戦争を推進する力となった思想であり、戦後の日本は、侵略戦争の反省に立って、神国日本を否定する平和、民主主義の憲法を制定し再出発した、これが今日の政治の原点であります。
○大島委員長 手短にお願いします。
○東中委員 これを否定するものとして、森発言が国際的に大問題になっているのであります。
ところが、森総理は、発言を撤回もせずに居直っています。こういうことを放置しておいて、何が戦争決別宣言か、この決議で世界に何を訴えようというのか、国会の責任が問われることになります。
国民にも世界にも説明がつかない、道理のない決議はやるべきではありません。
今、多くの国民が、そして世界が、憲法九条に対する日本の政治、政治家の態度を厳しく見詰めています。
○大島委員長 東中先生、そろそろお願いします。
○東中委員 このことに心をいたして、議院運営委員会としては、この議案を今度の本会議に上程するなどという暴挙は断じてやるべきではない、このことを強く申し上げて、意見の表明を終わります。
○大島委員長 東祥三君。
○東(祥)委員 先ほど両党から、この決議案の緊急上程に関する手続上の瑕疵について発言がございました。全く我が党としても同感でございます。
さらにまた、今この緊急上程をされるに当たって、提案理由もされておられません。提案理由は、聞くところによれば、悲惨な経験をした九州、沖縄において今般九州・沖縄サミットが迎えられる、この佳節に当たり改めて戦争決別宣言をする意味がある、このようなことを聞き受けております。
しかし、もしそうであるとするならば、なぜ今日緊急にこの案を提出しなければならないのか、その理由には全く理解に苦しむところであります。
いろいろと予想されている、本当かどうかはわかりませんが、たとえ近々総選挙があったとしても、総選挙後に特別国会を開くなりして、この問題の重要性をそれほど深く認識するとするならば、そこでちゃんと時間をかけてやられればいいんじゃないでしょうか。
さらにまた、内容について、これまたよくわからないのでございますが、なぜ何度も戦争決別宣言なるものを我が国会は行っていかなくちゃいけないのでしょうか。
一九二八年、パリ不戦条約において日本国は戦争をしないと調印した国であります。しかし、それを破棄し、そして第二次世界大戦に向かっていく。そのとき、二百数十万の同胞のとうとい命を失った。
一九四五年、国際的に第一回目のいわゆる国際連盟の経験を踏まえた上で国際連合ができ上がる。国際連合を担保している国連憲章において、国際社会全体として戦争違法化の思想がビルトインされたはずです。その思想を受け継いで、一九四六年、現憲法が成立し、その第九条一項において戦争放棄というものを明確にしたためているではありませんか。日本国民一億二千六百万人、その基本的な思想を共有していると思います。
そしてまた、一九九五年、先ほどお話がありましたとおり、改めて国会全体としての決議として、この悲惨な戦争経験を踏まえた上で、新たなる平和に対しての決意を日本国はしておるわけです。そして、この二〇〇〇年というときにまた新たに決別宣言をしていくということは、どういうことなのでしょうか。日本というのは、事あるごとに何か言っていかなくちゃいけないのでしょうか。
一九九〇年、委員長もよく御存じであった、あの湾岸戦争が勃発したときに、日本は国際の平和と安全のために何をどのようにしていくのかということが鋭く国際社会から問われたのではないですか。それを具体化していくために、今、国会の中でもけんけんがくがくの議論がいろいろなところでされていると思います。それがまだ実現されていない段階で、ただ宣言だけを言うということ、中身はよく見ていませんからよくわかりませんけれども、それは余りにも国際社会における日本の位置づけというのを知らなさ過ぎるのではないでしょうか。
そういう視点から、内容はともかくとして、一番初めに両党からお話がありましたとおり、この緊急提案がなされるそのプロセスそれ自体に瑕疵がある、まずその一点でもって、本日の本会議における上程に対し、厳しく、また強く反対の意を表明したいと思います。
以上であります。
○大島委員長 深田肇君。
○深田委員 社民党の深田肇でございます。
本日の議事運営について大変に疑義と不満があることを冒頭に申し上げておきたいと思います。
と申しますのは、本日の十一時から議運があって、それで意見交換をした上で四十五分まで休憩をいただいて、その冒頭に野党の筆頭の方からいろいろ意見が出ました。
特に私どもとしては、その意見に賛同する立場で申し上げるのでありますが、やはりこういう重要な国会決議は、できる限り粘り強く話し合いをして、そして意見の一致を見出すという努力をするべきだというふうに今でも思っています。そのための努力を惜しまないつもりでございます。
その立場から申し上げますと、余りにも短い時間で、そして、そこのところは、十分な討論なり横の連絡もとれないままにこういう形の中で開かれることについて、大変に不満であることを申し上げておきたいと思います。
そういうことを申し上げた上で、私は、今同僚議員がおっしゃっているとおり、前例のないこういう国会決議を今回あえてやることについて、大いに不満だし反対だということを申し上げておきたいと思います。
短くやれというお話でありますから、それに協力する立場で申し上げますが、内容については多くを語るつもりはないのでありますが、一九九五年の国会決議よりも本日予定されていると言われるこの決議案の方が内容的にはレベルが低いのではないかということを直感として感じております。したがって、それより低い国会決議をやることについても反対だということを申し上げておきたいと思います。
最後になって恐縮でありますが、小渕総理を失って、その方の追悼をするこの日、私どもの村山富市が追悼のごあいさつをするその日になぜやるのか、日を変えてもらえればよかったなという気持ちが強いということを最後に申し上げておきたいと思います。
○大島委員長 それでは、逢沢一郎君の動議に賛成の諸君の挙手を求めます。
〔賛成者挙手〕
○大島委員長 挙手多数。よって、そのように決定いたしました。
なお、本決議案の趣旨弁明は、提出者の池田行彦君が行います。
また、本決議に対しまして、内閣を代表して、森内閣総理大臣から発言があります。
国会の開会式
東中光雄衆議院議員は、衆議院議院運営委員会の理事になり、国会開会式の民主的改革を訴えました。これが、足かけ28年にわたる議運での初仕事でした。
1973年(昭和48年)1月26日(金曜日)衆議院議院運営員会
○海部俊樹委員長 次に、開会式に関する件についてでありますが、開会式の日取りにつきましては、理事会の協議により、明27日午前11時から行ならことに決定いたしております。
次に、式次第について御協議を願います。
この際、日本共産党。革新共同の東中君から発言を求められておりますので、これを許します。東中光雄君。
○東中委員 私は、日本共産党・革新共同を代表して、開会式の民主的改革について提案したいと思います。
私は、国権の最高機関であり、主権者である国民の代表機関である国会は、当然現行憲法の主権在民の原則と諸条項を最も厳格に守るべきだという見地から、従来の国会開会式のやり方を根本的に再検討し、憲法に定められた天皇の権能を逸脱する天皇の出席や発言を取りやめ、衆議院において開会式を行ならことを提案するものであります。
従来の国会開会式は、国会法第九条で「開会式は、衆議院議長が主宰する。」と明記しているにもかかわらず、参議院本会議場で行なわれ、天皇が出席し、式次第も、衆議院議長の式辞に続いて天皇のことばを賜わるというものであり、全体として天皇中心に行なわれ、天皇を主権者とした戦前の帝国憲法時代の開院式のやり方を多くの点でそのまま踏襲しておるのであります。
国会開会式が、戦前の帝国議会開院式と全く異なる性格のものであることは、第九十一議会において、国会法の提案理由を述べた田中萬逸議員が、従来の開院式は皇室儀制令にその規定があり、かつその開院式によって議会に活動能力が与えられたのであり、今後の国会では、召集即開会となるので、法律的にいえば開会式は不要であります、と述べていることからも明らかであります。開院式は統治権の総攬者とされた天皇が中心になったのであるが、主権が国民に存することが明記された日本国憲法のもとで、国権の最高機関の地位を持つとされた国会では、開会式そのものが法律的には不要であるとさえいわれるものであって、天皇が出席する必要は全くないし、開会式のやり方は不変というよらなものではないのであります。それにもかかわらず、今日の国会開会式が天皇中心であって、帝国議会当時の開院式と同じやり方で行なわれることは、明らかに主権在民の憲法の規定に反するものといわなければなりません。
次に、一そう重大なことは、第一回国会以来、天皇のおことばなるものの中に、常に国政に関する政治的発言が含まれてきたことであります。たとえばアメリカの対日占領政策への支持と感謝の態度を表明したり、サンフランシスコ体制を押しつけてきたアメリカ政府などに感謝をしています。最近の国会では、国民の批判無視して、自民党政府の内外政策とその成果をたたえ、自民党政治への肯定的態度を常にとってきたのであります。
開会式に天皇が出席してこの種の政治的発言をするという行為は、法令上何の根拠もないものであるばかりでなく、日本国憲法の主権在民の原則にも、天皇の権限について「天皇は、この憲法の定める國事に關する行爲のみを行ひ、國政に關する權能を有しない。」とした第四条の明文の規定にも明らかに違反するものであります。
天皇の国事行為の中に国会の召集が含まれていても、それは、召集詔書を公布することであって、開会式への天皇の出席が含まれないことは言うまでもありません。天皇が象徴たる地位にあるからといって、憲法で限定的に規定をしている国事行為以外の公的行為を行なう権限が発生するいわれのないことは、これまた明らかであります。いわゆる象徴行為説も根拠のないものであります。天皇の国会開会式への出席、発言は、憲法に定められた天皇の権能を逸脱するものであることは明らかであり、とうてい許されないところであります。
以上の理由により、私は、国会開会式は、天皇の出席を取りやめ、衆議院において行なうよう提案するものであります。
この提案は、主権在民の原則を定め、その見地から天皇の権能を厳格に規定している日本国憲法の規定を守り、国会法の規定にのっとって国会の民主的運営をはかろうとするものであって、君主制廃止という一定の政治的立場やイデオロギー的な理由によるものでないことは言うまでもありません。したがって、将来の政治制度についての見解のいかんにかかわらず、日本国憲法下の国会運営の当然のあり方として、各党の賛同を得らるべきものだと考えるのであります。
一九四七年、第一回国会当時、日本共産党所属の一部議員が開会式に出席し、そのやり方を見聞した後、わが党議員団は、この二十数年間一貫して、天皇が出席しておことばを賜わるという憲法に反する開会式に反対して、その意思表示として開会式に欠席し続けてきたのであります。
私は、日本共産党・革新共同が三十九議席を得て、国会運営に、より積極的な責任を負うに至った今日、最初の国会開会式を迎えるにあたって、国民と国会に対する責任として、日本国憲法に反し、主権在民の原則に反する開会式の慣例を改めて、開会式を民主的に改革するため、この提案を行なうものであります。
以上です。
○海部委員長 ただいまの東中君の御発言に対し、各党から発言を求められておりますので、順次これを許します。小渕恵三君。
○小渕委員 ただいま日本共産党・革新共同より提案のありました開会式の改革案については、わが党は、以下申し述べる理由により反対であり、開会式は、従来どおり変更なく挙行せられるよう希望するものであります。
すなわち、各国会ごと行なわれている開会式は、新憲法公布後初めての昭和二十二年六月の開会式以来、天皇の御臨席をいただき挙行され、よき慣例として継続されてきたものであり、あえて今国会より変更すべき特別かつ積極的な理由を見出し得ないからであります。しかも、この開会式の形式は、戦後二十二年五月、国会法が成立したとき、共産党も含めた各派協議会で満場一致できめられた経緯にかんがみ、また、二十六年間特別の異議もなく続けてきた慣行に対して、あえてその変更の必要はないと考えるからであります。そして共産党の提案が、その綱領の中に、君主制を廃止し、人民共和国をつくると明記されている党の年来の主張に立脚しての今回の提案でなく、将来の政治制度をどうするかという展望と関連してでなくとあえてお断わりしての今回突然の改革提唱は、まさに唐突の感を深くするものであり、理解に苦しむところであります。
また、共産党の主張によれば、天皇の国会御臨席とおことばは憲法に違反する行為との解釈でありますが、わが党は全くこれらの点についても意見を異にするものであります。
すなわち、天皇の国会御臨席は、現憲法下特に成文化されなくとも、現国会法制定時における論議に明らかなように、衆参両院議長の「御臨席をお願いしたい」との申し出にこたえられて、国会のお客様として開会式に臨まれるのであり、そして、その天皇の御臨席される行為も、憲法第一条の日本国及び日本国民の象徴というお立場から御臨席されているものであり、憲法違反との主張は、全く論外であるとわれわれは考えるものであります。
さらに、共産党は、開会式に臨んでの天皇のおことばを問題にされており、しかもその内容が、わが党を利するための政治的御発言であるとの主張は、全く当たらないのであります。
なぜなら、共産党があげている幾つかの具体的な例といわれるものを見ても、そのどれをとりましても、すでに国権の最高機関で意思決定せられた事柄に対して感想を述べられたものであり、決して予見や国会の意思を左右させるたぐいのものではなかったし、まして一党を利するためのおことばでないことは明白であります。そしてこれらは、共産党の指摘するように、天皇の行なう国事行為の範囲を越えた、憲法の規定を越えた内容とは全く考えられず、したがって、憲法四条に違反するとの主張は全く見当違いとわれわれは考えるものであります。
つけ加えて一言申し添えます。
最近の開会式における議員の出席率は、必ずしも高いとは思われません。せっかく今回、開会式問題が当議院運営委員会の場で久しぶりに問題提起され、意見開陳の行なわれます機会に、もし従来どおり挙行さるるべしとの決定が民主的採決によってなされるならば、開会式を行なうことは国会議員共同の責任において挙行せられることと再確認されることともなるので、当委員会の決定を各議員に周知せられ、お招きする側の儀礼上からも、議員おのおのが連帯の責任を果たされ、出席されるよう、委員長において十分な配慮を行なっていただきたく、強く希望いたしておきます。
以上がわが党の考え方であります。
○海部委員長 勝澤芳雄君。
○勝澤委員 日本社会党の意見を申し上げたいと存じます。
いま東中君から、天皇を国会にお呼びすることについて、開会式について御意見がありましたが、その骨子は、第一に、開会式に天皇の出席は取りやめさせるべきであるというものであり、第二は、衆議院において行なうべきであるという二つの主張であります。
まず第一の天皇の出席でありますが、これは、先ほど自民党の小渕君からも御説明されておりましたように、新憲法ができた当時、国会の開会式のやり方について、各派協議会において十分議論をされた、そして満場一致で、国会は会期の初めに開会式を行なうということが国会法の第八条できめられ、そして第九条において「開会式は、衆議院議長が主宰する。」こうきめられておるわけでありまして、当時の記録を見てみますと、各派協議会で各党一致これが取りきめられ、そしてむろん共産党も賛成しておられるわけであります。
しかも、この開会式をやる以上、お客さんをどうしようかというお話の中で、憲法第一条に基づく天皇を開会式に呼ぶことはいいだろうということも、これも満場一致できめられて、そして、開会式のお客さまとして天皇の出席を要請いたしてきた経過があるわけでありまして、それが長い慣習として今日まで憲法上からも何らの疑義がなく、また国会法の上からも何らの疑点なきまま今日まで来たわけであります。
しかも、今回の共産党の申し出は、突然なことでありまして、これについてやはり国会の慣例というものは十分お互いに議論をし尽くして、そして慣例を積み上げてきて、理解と納得のいく修正がなされておるわけでありまして、実は何かためにせんための発言のように思えてならないわけであります。今日、いかなる理由でこういうことを唐突として発言しなければならないかということについて実は理解に苦しむわけであります。
したがって私は、やはり開会式は、従来行なわれているように、慣習に従って天皇の御出席を要請し、おことばを賜わることについては、何ら差しつかえないものと存じます。
また、開会式をいま参議院で行なっているのを、衆議院で行なえということであります。これは、いまの開会式の式場からいって、参議院のほうが都合がいいからということで行なわれていることであって、このことが必ずしも憲法上の問題になることではないと存じます。むしろ国会法で明確に「衆議院議長が主宰する。」と決定されておりますし、またそのように運営がされておるわけであります。
また、開会式の必要性にも言及しておりましたけれども、「開会式は、会期の始めにこれを行う。」ということが、実はこれも国会法できめられておるわけであります。したがいまして、やはり慣行として行なわれてきたことでありまして、重大な支障があるとするならば別でありますけれども、今日までの慣例からいって何ら異議がなく行なわれてきたことでありますから、従来どおり行なうことに対して、わが党は賛成をいたす次第であります。
○海部委員長 大久保直彦君。
○大久保(直)委員 日本共産党・革新共同からの開会式に関する御提案につきましては、要約いたしますと、開会式を衆議院で行なえ、それから第二には天皇を開会式にお招きするなということでございましたが、この開会式の持ち方につきましては、旧憲法から新憲法に移行する際に取りきめられました各派協議会の合意によるものであると承知いたしております。
日本共産党・革新共同の主張は、当初、天皇発言に違憲性があるということでございましたが、今日は、天皇の出席自体にも違憲性があるという御意見でございました。日本共産党を含めた各派協議会で合意いたしました段階から、今日、天皇の開会式における参加に異議ありとする理由は、わが党として納得しがたいものでございます。
公明党といたしましては、天皇を開会式にお招きすることは、民主議会制度をそこなうものにはならないと考え、従来どおりの開会式を行なうことに異議はございません。
第二の衆議院で行なえという問題でございますが、国会の開会式は、本来衆議院議長が行ない、衆議院で行なうべきであると存じます。現在、衆議院議長が開会式を主宰し、参議院の議場で行なわれておるわけでございますが、議場が参議院のほうがベターであるという意味であるのなら、その慣例に特に異議を持つものではありません。よって、現在の開会式を従来の慣例のまま行なうことに賛成でございます。
○海部委員長 塚本三郎君。
○塚本委員 開会式に天皇陛下をお招きする件につきましては、その手続が正当に行なわれて今日に至っており、それは議会のよき慣例と考えておりますので、今後とも従来どおり賛成をいたします。
それから会場を衆議院で行なうことにつきましては、もちろん、それが衆議院で行なわれることのほうがよりベターであるとは考えておりますけれども、憲法に定められた国民の象徴をお迎えする場所として、参議院の本会議場がよりふさわしい場所として現在すでに物理的にでき上がっておりますので、それを利用してきた過去の慣例を今後とも踏襲しても、決してそれは衆議院の主体性をそこなうものではないと考えております。そのことは、主宰者として衆議院議長がとり行なっておるという事実からも明らかだと思っております。
最後に、もし天皇さまをお迎えすることについての問題があるとすれば、そのおことばの中身についてだろうと受け取っております。しかし、今日まで、天皇陛下の開会式に対するそのおことばの中身については、もちろん国民の象徴たるべき天皇の発言でありまするから、議会の審議の中身に影響を及ぼすべき中身であったら問題だと思っております。しかし、いままで一度として、これから行なわれんとする審議の中身について御発言があったことはないと受け取っております。
なお、行なわれてしまった過去の審議の問題につきまして、あるいは内閣の行為につきましても、その発言は過去だからいいというものではないと思っております。その発言はたいへんな権威をつけられるものでありますから、次の国政の審議に対して影響力を著しく与えるものであるならば、これも考えなければならぬと思っております。
しかし、ずっと共産党さんの触れられた中身の点等を考えてみますると、過去に行なわれた、審議せられてしまった法律案や審議状況等についての御発言の中でも、次に来たるべき審議への影響力を与えるものはないと思っておりまするし、若干、反対党の立場から見るならば、おもしろくない発言もあったかと思いますが、この程度のものならば、それは国政に関する行為と受け取るべきではないと考えておりますので、おことばの中身として今日まで程度の発言であれば、国政の発言ではないと受け取って、今後とも続けてしかるべきではないか。したがいまして、私どもは、従前どおりお客さまとしてお迎えすることに賛成であります。
○海部委員長 それでは、各党の御意見が一致いたしませんので、採決いたします。
開会式の式次第は、従前の例によるお手元に配付の案のとおりとするに賛成の諸君の挙手を求めます。
○海部委員長 挙手多数。よって、さよう決定いたしました。
開会式には各議員が出席されるように希望いたします。
○海部委員長 なお、式辞につきましては、その案文をお手元に配付いたしてありますが、この際、事務総長の朗読を求めます。
○知野事務総長 朗読いたします。
第七十一回国会開会式式辞(案)
天皇陛下の御臨席をいただき、第七十一回国会の開会式をあげるにあたり、衆議院及び参議院を代表して、式辞を申し述べます。
昨年十二月十日衆議院議員の総選挙が行なわれ、同月二十二日をもつて特別国会が召集されたのでありますが、われわれは、この際、決意を新たにして国政を議し、議会制民主主義の機能を十分に発揮し、内にあっては国民生活の安定、福祉の向上、外にあっては諸外国との平和と友好の維持増進に、たゆみない努力をかさね、わが国が当面する諸問題の解決をはからなければなりません。
ここに、国会は過般の総選挙による新議員を迎え、われわれに負荷された重大な使命にかんがみ、日本国憲法の精神を体し、おのおの最善をつくしてその任務を遂行し、もつて国民の委託にこたえようとするものであります。
なお、ただいま式次第は従来どおりと決定されたわけでございますが、先ほどの理事会におきまして、日本共産党・革新共同の東中理事から、先ほど御発言の趣旨によりまして、開会式式辞案の「天皇陛下の御臨席をいただき、」ということばは要らないのではないかという発言がありましたことを申し添えます
○海部委員長 それでは、式辞は、お手元に配付の案文のとおりと決定するに御異議ありませんか。
○海部委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
人民の抵抗権 2
「圧制にたいする人民の抵抗権について 枚方事件の最終弁論から」
2、検事の態度
1952年6月25日未明抗議デモがおこなわれると、ただちに警察・検察庁は、これを火炎瓶による放火事件だとして立件し、商業新聞はデモ隊を「放火」「暴徒」だと大々的に報道した。事件ははじめから放火未遂犯として拡大捜査され、65人の労働者・学生が起訴された。
6年間にわたる公判廷での物的証拠や証人調べの結果は、放火と認める事実はまったくなかった。事件直後現場に駆けつけた警察官は、「当日小松方に火炎瓶による襲撃放火があると予想して深夜も待機をしていた。小松方が襲撃されたと連絡をうけたとき火がつけられたと思って現場に駆けつけた。現場には焼け跡があった」と証言し、被告側の追及の結果、「よく調べてみると焼けたと思ったところは、実は黒い液の跡があっただけだ」と証言している。隣家の居住者は、音を聞いてただちにわざわざ現場まで見に行ったが、「なにもなかった」と証言している。現場写真はほとんど撮られておらず、2・3枚の写真では放火を否定する事実ばかりがでてくる。それだけではなく、焼けたとして出されている短靴も現場で手にとってみた警察官2人が、いずれも焼けていなかったと証言し、京都大学多羅間教授の実験結果でも、火炎瓶の発火では証拠物の靴のように焼けないことを鑑定している。検察官などが短靴の焼け痕を事件後にー菅生事件のようにー製造したとみとめられるのである。また、消火に使用したといわれる寝袋が今日になるまでその所在は不明であり、現場の状況は捜査官によって故意に変更されたことが立証された。
冷静に客観的に事実をみれば、火炎瓶による方かでなかったことは明らかであり、現場に駆けつけた下僚の警察官などは法廷でこのことを被告側の追及で明らかに証言せざるを得なかった。これらの(放火ではなかったと証言する)警察官は、事件当日放火容疑者と称して、デモ参加者を手当たり次第に逮捕しているのである。それだけでなく、これらの事実が明らかになった今日においても、検察官は、まだ放火未遂の主張を固持して。1088頁におよぶ弁論を行い、60人の被告諸君に対し、最高12年、合計240年の懲役刑を求刑したのである。
現場の警察官は、「事件」まえに放火の発生を予期して待機していた。「事件」直後、客観的事実を調べないで、デモ参加者を逮捕した。検察庁は、逮捕者を各警察署に分散留置し、一切の面会を妨害し、被逮捕者と大衆とを完全に遮断した。そのなかで「小松は火炎瓶で攻撃されたのだ」ということを動かない前提として拷問し、「火をつけて焼いてしまうために行動した」という偽りの自白調書を何通か作成した。(このことについて船越主任検察官は、「黙秘権とのたたかいに勝利した」と、誇らしげに法務局へ報告書を提出している)。今度は、これを逆にして、(偽りの)自白調書があるから、現場では証拠採取ができなかったけれども、火炎瓶を投げられたのは間違いないのだと主張している。驚くべきトリックである。
検察官は、これらの調書を刑事訴訟法を無視して、弁護人にも見せないという態度をとった。大阪弁護士会は、その不当違法をつき、天皇制時代の裁判以上に被告の権利を侵害するものだとして反対決議を行い、日本弁護士連合会もこれをとりあげ検事総長に抗議しその善処方を約束させた。それにもかかわらず
なお、数々の調書閲覧妨害を加えようとした。この検察官の不当な態度のため、公判が著しく遅延され、被告の生活破壊をもたらすようになった。この間、被告の就職先へ警察官・公安調査官が廻り歩いて、その就職妨害を行ったのである。こうして、裁判は、被告諸君に対する政治的弾圧と人民の分裂を狙い、小民の民主的自由と被告の防御権を侵害することによって、被告の生活破壊をきたすようにすすめられた。
この公判を通じて明らかになった検事の態度は、
第1に、枚方事件を放火事件にすりかえ、さらに共産党がこれを計画指導したと意識的につくりあげようとしてることである。脅迫とトリックで作成された偽りの自白調書によって、しかも、その調書の記載で足りない部分は勝手に想像によって創作してまで、共産党と「事件」を結びつけようとしている。明らかに意識的に共産党に攻撃を加えているのである。
第2に、検事はこのデモの歴史的・社会的・政治的性格、背景をまったく理解しないし、ことさら理解しようとしない。後述するように本件の抵抗運動としての性格が約1ヵ年の裁判を通じて立証されたのに、故意にこれには目を閉じている。政治的な、大衆的な抵抗運動を犯罪視するのに都合のよい部分だけに目をつけるのである。
第3に、メーデー事件や早大事件で明らかになったように、また最近の和歌山勤務評定反対デモに対してそうであったように、まったく暴力団化している警察官の実態に、いっさい目を向けないで、警察官はそうあってはならないと法が定めているから、現実はそうではないはずだ、という論理で、事実を故意に変えている。暴力団化した警察官の攻撃から身を守るために準備した諸装置を、ことごとく、放火行為の準備だという、とんでもないキメつけをやっている。
第4は、支配者流の論理や独断を人民の行動にあてはめて、その論理にあわない事実は存在しないと推論する。たとえば、「デモは深夜に行ったのでは、示威行動にならない」「デモは人の多勢いるところで行われるものだ」という独断をやり、「本件は深夜に行われたのだからデモではない、放火だ」という類である。
第5は、客観的な証拠(物証・第三者証言)を完全に無視して、その主張にあうように自白を強要し、そうでない証拠を湮滅する。しかも、都合のよい供述記載部分だけをつぎはぎして「証拠に基づく事実」だと強弁することである。
そのほか、数えあげれば際限ないのであるが、これらの態度は、枚方事件に固有のことではなく、およそ、弾圧事件には、すべて一貫してかかる態度を続けている。あらかじめ犯罪を想定して人民の大衆行動に右翼や私服警察官が挑発をかける。武装警官が出動し、想定された「犯罪」へ事実を作りあげていく。大衆行動を踏みにじると同時に逮捕、自白強要、こじつけ起訴、政治宣伝などが常套手段である。
被告側は、克明に事実に基づいて、敵の攻撃の論理の矛盾と事実のすりかえ、でっちあげを客観的な科学的な検討によってすすめなければならない。公判は、今日では、たんに政治的な演説のみによって敵の本質を暴露する場所ではないし、またそれだけでは、真にこれを暴露しうるものでもない。しかし、同時に、公判で敵が果たしている政治的弾圧の意図を暴露しわれわれの政策を明らかにすることをやめてはならないことも明らかである。裁判は政治権力によって動かされようとしており、裁判官はー人権を守る砦であるはずだが−現実には警察・検察当局や政治権力者に気がねし、おされ、または擁護しようとする傾向が強いからである。裁判は国民によって公然と監視されなければならないのである。
これは、枚方事件主任弁護人を務めた東中光雄弁護士が、「前衛」1958年12月号に書いた論文です。
(「前衛」とは、1946年2月 から月刊で発行されている日本共産党中央委員会の理論政治誌です)