懲罰事犯の「弁護人」

憲法は、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない」(51条)と定めています。
これは、国会議員に自由な発言を保障する主旨で、民事の損害賠償責任も、名誉毀損罪などの刑事責任も問われないという意味です。
一方で、58条2項後段では、「院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる」と定めています。

東中光雄衆議院議員は、国会議員の自由な発言を保障するために、懲罰事犯では、いわば「弁護人」の役割を果たしていました。

1973年(昭和48年)4月26日 小林政子議員が衆議院物価問題特別委員会で、田中角栄首相に対し、「上越新幹線上毛高原駅の決定並びにその周辺の土地買収をめぐって起きている疑惑を取り上げ、このような疑惑を持たれていては商社の不当な投機の規制をすることができないのではないかと、田中総理の政治姿勢を国民の前に明らかにするよう求めた」ことが事実無根の発言とされ懲罰委員会にかけられました。

東中光雄衆議院議員が、
1973年(昭和48年)6月26日衆議院本会議で、小林政子議員への懲罰に反対意見を述べています。
「国民の疑惑を取り上げ、これをただすことは、繰り返し強調いたしますが、これは国会議員の当然の権利であり、国民に対する義務であります。
 もし、田中総理にやましいところがないならば、その旨を冷静に答えればよいのであり、懲罰をもって議員の言論を抑圧する挙に出るがごときは断じて許されないところであります。(
 国会は、国権の最高機関であり、国政審議の場であります。為政者に不都合な、あるいは気に食わない発言だからといって、懲罰をもって議員の発言を規制するがごとき態度は、国会の自殺行為、民主主義の否定に通ずるものといわなければなりません。」

1976年(昭和51年)9月28日 紺野与次郎議員が 衆議院本会議で、公明党矢野絢也議員の憲法違反の質問に対し、「反共の犬がほえている」とやじったして「無礼の言」だと懲罰委員会にかけられました。

東中光雄衆議院議員
1976年(昭和51年)11月4日懲罰委員会で、紺野与次郎議員への懲罰案に反対質問を述べています。
「9月28日の官報号外によるそのときの会議録を見てみますと、矢野君が『犬がほえても歴史は進む』と共産党が言っていることが、批判者を犬扱いする体質だなどというような全く歪曲をした、的外れの非論理的な共産党攻撃をやった。
こういう事実に基づかない非論理的な共産党攻撃を私たちは反共主義、反共宣伝、こう言っておるのでありますが、
この発言があった後、会議録によりますと、『(発言する者あり)』というのが初めて出てまいります。そして矢野質問が全部終わった段階で、秋田副議長は、『静粛に願います。――静粛に願います。』こう言って、『(発言する者、離席する者あり)静粛に願います。』こう書いてあります。
公明党の諸君が演壇をほうっておいても離席してあなたのところへやってきたというのは一番後の段階だということが、会議録でも明らかであります。
 ところが、渡部一郎君の趣旨説明及び趣旨説明者に対する質疑の答弁では、初めから『イヌ、イヌ、イヌ』というふうに言うていたかのような言い方をしております。
これは事実に忠実でないことだということが明白であると思うのでありますが、
議員を懲罰に付すというふうなことを言っておる側が事実をしいるようなことをやるというのは、これこそ言論の府である国会、国権の最高機関である国会の権威を著しく傷つけるものだと私は思うのであります。」