46年〜68年

 人民の抵抗権 2 

「圧制にたいする人民の抵抗権について 枚方事件の最終弁論から」2、検事の態度 1952年6月25日未明抗議デモがおこなわれると、ただちに警察・検察庁は、これを火炎瓶による放火事件だとして立件し、商業新聞はデモ隊を「放火」「暴徒」だと大々的に報道した…

 圧制にたいする人民の抵抗権について 枚方事件最終弁論から

これは、枚方事件主任弁護人を務めた東中光雄弁護士が、「前衛」1958年12月号に書いた論文です。 (「前衛」とは、1946年2月 から月刊で発行されている日本共産党中央委員会の理論政治誌です)「圧制にたいする人民の抵抗権について 枚方事件の最終弁論から…

 民主商工会 小貫事件

1964年(昭和39年)10月10日には、東京オリンピックが開催されました。 その年の11月17日、大阪市都島区で起きたのが、「小貫事件」です。「小貫」というのは、都島民主商工会の税金対策部長であった小貫冨雄さんのことです。 (小貫冨雄さんは、のちに昭和4…

 吹田枚方事件 

1955年生まれの僕は、吹田事件というのは、聞いたことはある。枚方事件というのは、聞いた記憶が薄い。東中光雄さんから取材をするにあたり、時代背景がわからないままでは、聴きようがない。 それで、本を読んでみることにした 『朝鮮戦争と吹田・枚方事件―…

 公安事件法廷闘争

1951年4月、東中光雄弁護士は、加藤充弁護士(衆議院議員・日本共産党)の法律事務所で、いわば留守番弁護士として活動を開始した。 1951年から52年にかけての弁護活動の特徴は、言論弾圧との戦いであった。占領軍の軍事裁判所での戦いは大変だった。しかし…