人民の抵抗権 2 

「圧制にたいする人民の抵抗権について 枚方事件の最終弁論から」

2、検事の態度
1952年6月25日未明抗議デモがおこなわれると、ただちに警察・検察庁は、これを火炎瓶による放火事件だとして立件し、商業新聞はデモ隊を「放火」「暴徒」だと大々的に報道した。事件ははじめから放火未遂犯として拡大捜査され、65人の労働者・学生が起訴された。

6年間にわたる公判廷での物的証拠や証人調べの結果は、放火と認める事実はまったくなかった。事件直後現場に駆けつけた警察官は、「当日小松方に火炎瓶による襲撃放火があると予想して深夜も待機をしていた。小松方が襲撃されたと連絡をうけたとき火がつけられたと思って現場に駆けつけた。現場には焼け跡があった」と証言し、被告側の追及の結果、「よく調べてみると焼けたと思ったところは、実は黒い液の跡があっただけだ」と証言している。隣家の居住者は、音を聞いてただちにわざわざ現場まで見に行ったが、「なにもなかった」と証言している。現場写真はほとんど撮られておらず、2・3枚の写真では放火を否定する事実ばかりがでてくる。それだけではなく、焼けたとして出されている短靴も現場で手にとってみた警察官2人が、いずれも焼けていなかったと証言し、京都大学多羅間教授の実験結果でも、火炎瓶の発火では証拠物の靴のように焼けないことを鑑定している。検察官などが短靴の焼け痕を事件後にー菅生事件のようにー製造したとみとめられるのである。また、消火に使用したといわれる寝袋が今日になるまでその所在は不明であり、現場の状況は捜査官によって故意に変更されたことが立証された。

冷静に客観的に事実をみれば、火炎瓶による方かでなかったことは明らかであり、現場に駆けつけた下僚の警察官などは法廷でこのことを被告側の追及で明らかに証言せざるを得なかった。これらの(放火ではなかったと証言する)警察官は、事件当日放火容疑者と称して、デモ参加者を手当たり次第に逮捕しているのである。それだけでなく、これらの事実が明らかになった今日においても、検察官は、まだ放火未遂の主張を固持して。1088頁におよぶ弁論を行い、60人の被告諸君に対し、最高12年、合計240年の懲役刑を求刑したのである。

現場の警察官は、「事件」まえに放火の発生を予期して待機していた。「事件」直後、客観的事実を調べないで、デモ参加者を逮捕した。検察庁は、逮捕者を各警察署に分散留置し、一切の面会を妨害し、被逮捕者と大衆とを完全に遮断した。そのなかで「小松は火炎瓶で攻撃されたのだ」ということを動かない前提として拷問し、「火をつけて焼いてしまうために行動した」という偽りの自白調書を何通か作成した。(このことについて船越主任検察官は、「黙秘権とのたたかいに勝利した」と、誇らしげに法務局へ報告書を提出している)。今度は、これを逆にして、(偽りの)自白調書があるから、現場では証拠採取ができなかったけれども、火炎瓶を投げられたのは間違いないのだと主張している。驚くべきトリックである。

検察官は、これらの調書を刑事訴訟法を無視して、弁護人にも見せないという態度をとった。大阪弁護士会は、その不当違法をつき、天皇制時代の裁判以上に被告の権利を侵害するものだとして反対決議を行い、日本弁護士連合会もこれをとりあげ検事総長に抗議しその善処方を約束させた。それにもかかわらず
なお、数々の調書閲覧妨害を加えようとした。この検察官の不当な態度のため、公判が著しく遅延され、被告の生活破壊をもたらすようになった。この間、被告の就職先へ警察官・公安調査官が廻り歩いて、その就職妨害を行ったのである。こうして、裁判は、被告諸君に対する政治的弾圧と人民の分裂を狙い、小民の民主的自由と被告の防御権を侵害することによって、被告の生活破壊をきたすようにすすめられた。

この公判を通じて明らかになった検事の態度は、
第1に、枚方事件を放火事件にすりかえ、さらに共産党がこれを計画指導したと意識的につくりあげようとしてることである。脅迫とトリックで作成された偽りの自白調書によって、しかも、その調書の記載で足りない部分は勝手に想像によって創作してまで、共産党と「事件」を結びつけようとしている。明らかに意識的に共産党に攻撃を加えているのである。
第2に、検事はこのデモの歴史的・社会的・政治的性格、背景をまったく理解しないし、ことさら理解しようとしない。後述するように本件の抵抗運動としての性格が約1ヵ年の裁判を通じて立証されたのに、故意にこれには目を閉じている。政治的な、大衆的な抵抗運動を犯罪視するのに都合のよい部分だけに目をつけるのである。
第3に、メーデー事件や早大事件で明らかになったように、また最近の和歌山勤務評定反対デモに対してそうであったように、まったく暴力団化している警察官の実態に、いっさい目を向けないで、警察官はそうあってはならないと法が定めているから、現実はそうではないはずだ、という論理で、事実を故意に変えている。暴力団化した警察官の攻撃から身を守るために準備した諸装置を、ことごとく、放火行為の準備だという、とんでもないキメつけをやっている。
第4は、支配者流の論理や独断を人民の行動にあてはめて、その論理にあわない事実は存在しないと推論する。たとえば、「デモは深夜に行ったのでは、示威行動にならない」「デモは人の多勢いるところで行われるものだ」という独断をやり、「本件は深夜に行われたのだからデモではない、放火だ」という類である。
第5は、客観的な証拠(物証・第三者証言)を完全に無視して、その主張にあうように自白を強要し、そうでない証拠を湮滅する。しかも、都合のよい供述記載部分だけをつぎはぎして「証拠に基づく事実」だと強弁することである。

そのほか、数えあげれば際限ないのであるが、これらの態度は、枚方事件に固有のことではなく、およそ、弾圧事件には、すべて一貫してかかる態度を続けている。あらかじめ犯罪を想定して人民の大衆行動に右翼や私服警察官が挑発をかける。武装警官が出動し、想定された「犯罪」へ事実を作りあげていく。大衆行動を踏みにじると同時に逮捕、自白強要、こじつけ起訴、政治宣伝などが常套手段である。
被告側は、克明に事実に基づいて、敵の攻撃の論理の矛盾と事実のすりかえ、でっちあげを客観的な科学的な検討によってすすめなければならない。公判は、今日では、たんに政治的な演説のみによって敵の本質を暴露する場所ではないし、またそれだけでは、真にこれを暴露しうるものでもない。しかし、同時に、公判で敵が果たしている政治的弾圧の意図を暴露しわれわれの政策を明らかにすることをやめてはならないことも明らかである。裁判は政治権力によって動かされようとしており、裁判官はー人権を守る砦であるはずだが−現実には警察・検察当局や政治権力者に気がねし、おされ、または擁護しようとする傾向が強いからである。裁判は国民によって公然と監視されなければならないのである。

これは、枚方事件主任弁護人を務めた東中光雄弁護士が、「前衛」1958年12月号に書いた論文です。
(「前衛」とは、1946年2月 から月刊で発行されている日本共産党中央委員会の理論政治誌です)