吹田枚方事件 

1955年生まれの僕は、吹田事件というのは、聞いたことはある。枚方事件というのは、聞いた記憶が薄い。東中光雄さんから取材をするにあたり、時代背景がわからないままでは、聴きようがない。
それで、本を読んでみることにした
朝鮮戦争と吹田・枚方事件朝鮮戦争と吹田・枚方事件―戦後史の空白を埋める』
脇田憲一著 明石書店 2004年3月刊
[rakuten:book:11275665:image]『大阪で闘った朝鮮戦争― 吹田枚方事件の青春群像』
西村秀樹著 岩波書店2004年6月刊

西村秀樹さんは、
吹田事件を「朝鮮戦争と戦争協力に反対し,労働者・学生・在日朝鮮人が大規模な集会を開き,徹夜で反戦デモを敢行した」と紹介し、枚方事件を「旧陸軍工廠での兵器製造再開阻止のためにダイナマイトが爆発した」と紹介している。
1952年6月24日〜25日朝鮮戦争勃発2周年の日に起きた事件である。
吹田事件は、デモ隊が、国鉄吹田操車場へ進行して、朝鮮戦争アメリカ軍が使う軍需物資の輸送を阻止するという目的があったといわれており、西村秀樹さんの紹介文はその辺ですこし違う点もある。

どちらの事件も、軍需物資の輸送阻止とか兵器製造再開阻止とかをほんとうに阻止できるような計画なのか?たんなる政治宣伝的行動なのか?あやふやな奇妙な事件といえる。それに関与したとされる日本共産党(当時指導部が分裂状態)や在日朝鮮人団体(当時は日本共産党の傘下にあった)で、詳細な総括もされることなく、逆にタブーとして扱われてきたために、真相はわかないといってよい。

脇田憲一さんは、枚方事件の被告という当事者的立場にあった人物で、当時の体験とその後の聴き取りや40年後の現地を訪問したりして、自分史的意味での真相に迫ろうとしている。
西村秀樹さんは、毎日放送の記者で、いわば傍観者である。北朝鮮関係の取材を進めてきた経緯から吹田枚方事件を掘り起こそうと、当時の関係者の重い口から聴き取りをした過程を書いている。
どちらも、朝鮮戦争50年に合わせて出版されたものである。

さて、東中光雄弁護士はどこに登場するか?
脇田憲一さんの本は、親切である。索引がついているので、探しやすい。
枚方裁判の主任弁護人を務めた東中光雄弁護士(かれはのちに大阪二区選出の日本共産党衆議院議員となる)の発言が印象に残っている。「枚方事件には枚方闘争と枚方裁判の二つの側面がある。枚方裁判は権力の不当な弾圧といかに闘うかにある。枚方闘争の総括は党内で議論してほしい。この二つの問題を裁判闘争の中に混同しないでもらいたい」(p.168)”。
“接見にきた弁護士は、顔の大きい武骨な感じのする東中光雄氏であった。樋口がそのとき「ボクら何もわからんまま連れて行かれましてん。その晩、別に計画していた行動がありましたんや」と話しかけた。東中弁護士はすぐに「そんなことここで言っちゃいかん。ここは敵の陣営内やぞ」と制したことが強く印象に残っている(p.210)”

西村秀樹さんの本は聞き書きなので、騒擾罪の首魁として起訴された夫徳秀氏からの聞き書きで、登場する。
“夫徳秀は、吹田事件発生から丸二年後の54年6月24日に保釈された。拘置所で夫は完全黙秘を貫いた。「夫さん、住所と名前だけは言わないと保釈されないから」と弁護士の東中光雄(後に共産党衆議院議員)に説得され、夫も納得してようやく保釈された。吹田事件の被告の中で最長期間となった。”

東中光雄弁護士本人は覚えているのだろうか?きいてみたいね。