民主商工会 小貫事件

1964年(昭和39年)10月10日には、東京オリンピックが開催されました。
その年の11月17日、大阪市都島区で起きたのが、「小貫事件」です。

「小貫」というのは、都島民主商工会の税金対策部長であった小貫冨雄さんのことです。
(小貫冨雄さんは、のちに昭和46年4月に大阪府議会都島選挙区定数2名で初当選しましたが、50年4月には定数が1名に削減され惜敗しました。)

大阪市都島区民主商工会の会員さんから、突然に、旭税務署員が、昭和39年度所得税の事前調査に来た」という連絡を受けた小貫さんは、会員さん宅に駆けつけました。税務署員は帰ろうとしていたところで、小貫さんは、ひきとめて、年度途中の事前調査は違法であるので、調査に来た事情を尋ねようとしました。この行為が、公務執行妨害罪にあたるとして、起訴されたのです。

検察官の主張する公訴事実としては、被告人は、「両手で税務署員の胸部を突き、玄関踏み台に尻もちをつかせる暴行を加え、もって税務署員の職務の執行を妨害した」というものでした。

争点となったのは、(1)税務署員が従事していた事前調査は適法な公務であるかどうか (2)本件行為の時点で、税務署員の職務執行が終了していたかどうか (3)被告人が暴行を加えたという事実があるかどうかです。

東中光雄弁護士は、現場である民主商工会の会員さん宅の玄関に赴いて具体的に調査し、玄関踏み台を背にして立った税務署員が、もし両手で胸部を突かれたら、踵が踏み台で固定され、後づさりできないのだから、ひっくりかえってしまうと見抜いて、税務署員のうその証言を徹底的に追及しました。

9年余の裁判闘争を経て、大阪地方裁判所で、1974年(昭和49年)3月22日無罪判決を勝ち取りました。判決は、税務署員の証言について、「内容の不自然さ、民主商工会に対する偏見、誠実さを疑わせる証言態度からささいな有形力の行使を誇張して供述している疑いを払拭できないのであり、信用できない」とし、被告人の行為は不法な有形力の行使にはあたらないとしたのでした。
この無罪判決は、検察官が控訴しないで、確定しました。

民主商工会は、権力的な税務行政から納税者の権利を守る運動のなかから誕生し、国民本位の税制、税務行政の民主的改革を求め、申告納税制度と納税者の権利を守る運動をすすめてきました。これに対する税務行政からの弾圧をはねのけ、税務調査の民主化をすすめたたたかいでした。