戦没者の妻 特別給付金 国賠訴訟 弁護団長

http://www.asahi.com/national/update/0324/OSK200903230086.html
出典:「戦没者給付求め国を提訴へ 通知なく時効、大阪の妻2人」( asahi.com朝日新聞)ニュース 社会 裁判 記事)
引用:戦没者の妻に国が10年ごとに支給する「特別給付金」の通知が届かなかったために、申請する機会を失い受給できなかったとして、大阪府在住の戦没者の妻2人が25日、国などに未払い分の支払いを求める訴訟を大阪地裁に起こす。給付金の未払いをめぐっては、93年と03年の支給分だけで約410億円が未払いのまま時効(3年)を迎えたことがわかっているが、国が提訴されるのは初めて。
 特別給付金は、戦没者の妻の精神的苦痛を国として慰謝するために63年に制度化された。厚生労働省が所管し、本人の申請に基づき、10年に1度支給する。支給対象は恩給法上の「戦没者の妻」とされ、総務省が所管する扶助料の支給対象と同一だ。
 提訴するのは、45年3月に夫が中国戦線で戦死した大阪府箕面市の関百合子さん(88)と、45年7月に夫がビルマ戦線で戦死した大阪市住之江区の野村香苗さん(89)。
 訴状によると、関さんは通知が届かなかったために73年以降の計4回にわたり請求できず、給付金計560万円を受け取れなかった。同様に、野村さんも、93年と03年分の計380万円が受け取れなかった。
 2人が恩給法に基づく扶助料は受け取っていたことから、原告側は、毎年現住所や安否が更新されている総務省の恩給受給者名簿と、厚労省が照合していれば、通知の不備は生じなかったと指摘。「原告が給付金を請求できなかったのは、すべて国や事務を委任された都道府県の怠慢が原因」と主張する。
 厚労省社会・援護局は「法律に時効の規定がある以上、過去の未払い分を給付することはできない」としている。ただ、次回支給予定の13年から、恩給受給者名簿と照合しながら未申請者にも通知するという
以上2009年3月24日朝日新聞朝刊より引用

この戦没者の妻 特別給付金 国賠訴訟の弁護団長が東中光雄弁護士です。
東中光雄弁護士(85)は、戦死した原告らの夫より少し若いですが、海軍中尉として特別攻撃隊の隊長で、終戦を迎えた経験があり、原稿らの苦労が身に沁みて理解できます。
召集令状は届いても、特別給付金案内は届かないという不条理を許すことはできないと弁護を引き受けたのです。

 懲罰事犯の「弁護人」

憲法は、「両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問われない」(51条)と定めています。
これは、国会議員に自由な発言を保障する主旨で、民事の損害賠償責任も、名誉毀損罪などの刑事責任も問われないという意味です。
一方で、58条2項後段では、「院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる」と定めています。

東中光雄衆議院議員は、国会議員の自由な発言を保障するために、懲罰事犯では、いわば「弁護人」の役割を果たしていました。

1973年(昭和48年)4月26日 小林政子議員が衆議院物価問題特別委員会で、田中角栄首相に対し、「上越新幹線上毛高原駅の決定並びにその周辺の土地買収をめぐって起きている疑惑を取り上げ、このような疑惑を持たれていては商社の不当な投機の規制をすることができないのではないかと、田中総理の政治姿勢を国民の前に明らかにするよう求めた」ことが事実無根の発言とされ懲罰委員会にかけられました。

東中光雄衆議院議員が、
1973年(昭和48年)6月26日衆議院本会議で、小林政子議員への懲罰に反対意見を述べています。
「国民の疑惑を取り上げ、これをただすことは、繰り返し強調いたしますが、これは国会議員の当然の権利であり、国民に対する義務であります。
 もし、田中総理にやましいところがないならば、その旨を冷静に答えればよいのであり、懲罰をもって議員の言論を抑圧する挙に出るがごときは断じて許されないところであります。(
 国会は、国権の最高機関であり、国政審議の場であります。為政者に不都合な、あるいは気に食わない発言だからといって、懲罰をもって議員の発言を規制するがごとき態度は、国会の自殺行為、民主主義の否定に通ずるものといわなければなりません。」

1976年(昭和51年)9月28日 紺野与次郎議員が 衆議院本会議で、公明党矢野絢也議員の憲法違反の質問に対し、「反共の犬がほえている」とやじったして「無礼の言」だと懲罰委員会にかけられました。

東中光雄衆議院議員
1976年(昭和51年)11月4日懲罰委員会で、紺野与次郎議員への懲罰案に反対質問を述べています。
「9月28日の官報号外によるそのときの会議録を見てみますと、矢野君が『犬がほえても歴史は進む』と共産党が言っていることが、批判者を犬扱いする体質だなどというような全く歪曲をした、的外れの非論理的な共産党攻撃をやった。
こういう事実に基づかない非論理的な共産党攻撃を私たちは反共主義、反共宣伝、こう言っておるのでありますが、
この発言があった後、会議録によりますと、『(発言する者あり)』というのが初めて出てまいります。そして矢野質問が全部終わった段階で、秋田副議長は、『静粛に願います。――静粛に願います。』こう言って、『(発言する者、離席する者あり)静粛に願います。』こう書いてあります。
公明党の諸君が演壇をほうっておいても離席してあなたのところへやってきたというのは一番後の段階だということが、会議録でも明らかであります。
 ところが、渡部一郎君の趣旨説明及び趣旨説明者に対する質疑の答弁では、初めから『イヌ、イヌ、イヌ』というふうに言うていたかのような言い方をしております。
これは事実に忠実でないことだということが明白であると思うのでありますが、
議員を懲罰に付すというふうなことを言っておる側が事実をしいるようなことをやるというのは、これこそ言論の府である国会、国権の最高機関である国会の権威を著しく傷つけるものだと私は思うのであります。」

 原稿の割り振り案

東中光雄物語」「東中光雄回顧録」「おっちゃんが東中か?そや!」・・
題名はおくとして、200ページをどういうふうに割り振るか?

1ページの字数は、45字×16行=720字程度である。
新聞でいうと、人欄は約550字、コラムは約700字、連載小説は約1000字である。
長いと読みづらいし、短いと内容を尽くせない。
ひとつのエピソードを720字×3〜4ページ=2100字〜2800字でどうであろうか。
200ページなので、50個のエピソードを描けることになろう。

第1期:1924年〜45年 10〜11個のエピソード
父(日露戦争傷痍軍人)の思い出、母の思い出、世界大恐慌時代(昭和初期)の暮らしぶり、都跡小学生時代、郡山中学時代(薬師寺管長高田好胤師との交流)、海軍兵学校江田島)、飛行学生(霞ヶ浦航空隊)、特別攻撃隊志願、8月15日を向えて

第2期:46年〜68年 14〜15個のエピソード
敗戦直後、同志社大学、高等文官試験司法科合格、司法修習(3期)、結婚、1951年加藤充法律事務所ー占領目的阻害行為処罰令との闘い、1952年吹田枚方事件など公安事件、1954年東中法律事務所設立、共同事務所化、、民主法律協会設立、労働事件、借地借家事件、税金事件(民商)、土地収用事件など

第3期:69年〜00年 18〜19個のエピソード
参議院選挙に挑戦、初当選、国会質問(その時代の事件や総理大臣を追及)、小選挙区制での挑戦と落選

第4期:01年〜今 6〜7個のエピソード
クラボウ人権裁判弁護団長、戦没者の妻特別給付金国賠訴訟弁護団長、民事事件、刑事事件、講演活動、日常生活や家族生活、

 クラボウ人権裁判弁護団長

クラボウ人権裁判とは、倉敷紡績株式会社に対し、従業員2人が、日本共産党員であることを理由とした差別は思想差別で憲法違反だとして損害賠償請求をした事件です。
伊藤建夫さんは1967年に、宮崎周吉さんは1971年に入社しましたが、日本共産党員であることを理由に、仕事の取り上げや不当な異動、「党員をやめろ」との執拗な強要を受け、賃金でも差別をされました。これに対し2人は2000年に、賃金差別に対する損害賠償を求め提訴しました。。2003年、大阪地裁は「クラボウ共産党員に対する差別意思を有し、会社の労務政策として共産党員を差別的に取り扱ってきた」と断罪し、勝利判決を言い渡しました。
東中光雄弁護団長は「原告側の完全勝利です」「当時の政治状況からクラボウ日本共産党員差別意思を明らかにし、さらに労働基準法3条違反で告訴し、思想信条による差別は犯罪であることを明らかにした」と、裁判の意義を強調しました。
控訴審の大阪高裁では勝利和解しました。和解では、「地裁判決が同社の思想信条による差別的処遇を認めたことをうけて遺憾の意を表する」と明記し、両氏に解決金を支払いました。なお、和解を受けて、宮崎さんは管理職に昇格し、伊藤さんは定年退職したので管理職相当退職金の差額を解決金で考慮されました。
 

 吹田枚方事件 

1955年生まれの僕は、吹田事件というのは、聞いたことはある。枚方事件というのは、聞いた記憶が薄い。東中光雄さんから取材をするにあたり、時代背景がわからないままでは、聴きようがない。
それで、本を読んでみることにした
朝鮮戦争と吹田・枚方事件朝鮮戦争と吹田・枚方事件―戦後史の空白を埋める』
脇田憲一著 明石書店 2004年3月刊
[rakuten:book:11275665:image]『大阪で闘った朝鮮戦争― 吹田枚方事件の青春群像』
西村秀樹著 岩波書店2004年6月刊

西村秀樹さんは、
吹田事件を「朝鮮戦争と戦争協力に反対し,労働者・学生・在日朝鮮人が大規模な集会を開き,徹夜で反戦デモを敢行した」と紹介し、枚方事件を「旧陸軍工廠での兵器製造再開阻止のためにダイナマイトが爆発した」と紹介している。
1952年6月24日〜25日朝鮮戦争勃発2周年の日に起きた事件である。
吹田事件は、デモ隊が、国鉄吹田操車場へ進行して、朝鮮戦争アメリカ軍が使う軍需物資の輸送を阻止するという目的があったといわれており、西村秀樹さんの紹介文はその辺ですこし違う点もある。

どちらの事件も、軍需物資の輸送阻止とか兵器製造再開阻止とかをほんとうに阻止できるような計画なのか?たんなる政治宣伝的行動なのか?あやふやな奇妙な事件といえる。それに関与したとされる日本共産党(当時指導部が分裂状態)や在日朝鮮人団体(当時は日本共産党の傘下にあった)で、詳細な総括もされることなく、逆にタブーとして扱われてきたために、真相はわかないといってよい。

脇田憲一さんは、枚方事件の被告という当事者的立場にあった人物で、当時の体験とその後の聴き取りや40年後の現地を訪問したりして、自分史的意味での真相に迫ろうとしている。
西村秀樹さんは、毎日放送の記者で、いわば傍観者である。北朝鮮関係の取材を進めてきた経緯から吹田枚方事件を掘り起こそうと、当時の関係者の重い口から聴き取りをした過程を書いている。
どちらも、朝鮮戦争50年に合わせて出版されたものである。

さて、東中光雄弁護士はどこに登場するか?
脇田憲一さんの本は、親切である。索引がついているので、探しやすい。
枚方裁判の主任弁護人を務めた東中光雄弁護士(かれはのちに大阪二区選出の日本共産党衆議院議員となる)の発言が印象に残っている。「枚方事件には枚方闘争と枚方裁判の二つの側面がある。枚方裁判は権力の不当な弾圧といかに闘うかにある。枚方闘争の総括は党内で議論してほしい。この二つの問題を裁判闘争の中に混同しないでもらいたい」(p.168)”。
“接見にきた弁護士は、顔の大きい武骨な感じのする東中光雄氏であった。樋口がそのとき「ボクら何もわからんまま連れて行かれましてん。その晩、別に計画していた行動がありましたんや」と話しかけた。東中弁護士はすぐに「そんなことここで言っちゃいかん。ここは敵の陣営内やぞ」と制したことが強く印象に残っている(p.210)”

西村秀樹さんの本は聞き書きなので、騒擾罪の首魁として起訴された夫徳秀氏からの聞き書きで、登場する。
“夫徳秀は、吹田事件発生から丸二年後の54年6月24日に保釈された。拘置所で夫は完全黙秘を貫いた。「夫さん、住所と名前だけは言わないと保釈されないから」と弁護士の東中光雄(後に共産党衆議院議員)に説得され、夫も納得してようやく保釈された。吹田事件の被告の中で最長期間となった。”

東中光雄弁護士本人は覚えているのだろうか?きいてみたいね。

 公安事件法廷闘争

1951年4月、東中光雄弁護士は、加藤充弁護士(衆議院議員日本共産党)の法律事務所で、いわば留守番弁護士として活動を開始した。
1951年から52年にかけての弁護活動の特徴は、言論弾圧との戦いであった。占領軍の軍事裁判所での戦いは大変だった。しかし、ポツダム宣言を武器として、意気高く米軍の弾圧とたたかった。

1952年には、事件が次々に起こった。
1月21日 白鳥事件(札幌市警察の白鳥警部が帰宅途中、何者かに射殺された。4ヶ月後に村上国治日本共産党札幌地区委員らが逮捕された。)

2月20日 東大ポポロ事件(ポポロ劇団は、東京大学本郷キャンパス松川事件をテーマとした演劇の上演を行なった。観客の中に私服警官4名がいるのを発見し、3名の身柄を拘束して警察手帳を奪い、謝罪文を書かせた。これが暴力行為等処罰ニ関スル法律により起訴された。)

4月30日 辰野事件(長野県辰野町の警察署や駐在所で火災びんを投げたり,ダイナマイトを爆破さる事件が起きた。日本共産党上伊那地区委員など13人が爆発物取締罰則違反・放火未遂で逮捕・起訴された。)

5月1日 血のメーデー事件(中央メーデーは、警察予備隊についての再軍備反対とともに、人民広場(皇居前広場)の開放を決議していた。解散予定地の日比谷公園から一部のデモ隊が皇居前広場に侵入し、警官隊と衝突した。デモ隊から死者2名、重軽傷者740名以上を出した。デモ隊から1232名が逮捕され、うち261名が騒擾罪の適用を受け起訴された。)

6月2日 菅生事件(大分県菅生村の駐在所が爆破された。張りこんでいた警察官によって2人が現行犯逮捕、共謀者として3人が逮捕された。5人は日本共産党員で、農地改革に伴う土地の分配や米軍実弾演習場の接収反対を主張していた。)

6月24日 吹田・枚方事件(吹田事件:朝鮮戦争二周年記念前夜祭が大阪各地で企画された。大阪大学では学生や労働者ら約900人が参加。吹田操車場では軍事物資の列車輸送などが行われていた。デモ隊は、吹田操車場方面へデモ行進し、警官隊と衝突した。111人が騒乱罪容疑で逮捕、起訴された。枚方事件:ひらかたパーク裏の鷹塚山に約100人が集まった。旧陸軍工廠枚方製造所はGHQの接収が解除になり、小松製作所に払い下げられていた。何者かが旧陸軍工廠枚方製造所に侵入、ダイナマイトを取り付けて爆破させた。小松製作所関係者の自宅の玄関に火炎瓶を投げ込み家屋の一部を焼いた。98人を検挙され、65人が放火未遂、公務執行妨害罪、爆発物取締罰則違反で起訴された)

7月7日 大須事件(名古屋市大須球場で開かれた中ソ訪問議員歓迎報告集会後、約3000人がデモ行進に移ったが、5分後、警官隊は拳銃発射を含む実力行使でデモ隊を解散させ、死者1人のほか多数の重軽傷者を出した。デモ行進に対し騒擾罪が適用され、150人を起訴された)

7月29日 芦別事件(国鉄根室本線芦別平岸間の線路がダイナマイトで爆破された。 翌年鉱坑内夫であった2人の共産党員が逮捕され、起訴された。)

大阪では、5・30集会弾圧事件、6・25吹田事件・枚方事件、生野・阿倍野事件等、数百人に達する被逮捕者が続出し、府下一円に分散留置された。
公判は、吹田事件週3回、枚方事件週1回、生野・阿倍野事件は各隔週1回。いわゆる公安事件の法廷闘争が人手不足でてんてこ舞いしながら連日進められた。

 はじめての衆議院本会議反対討論 

東中光雄衆議院議員が、初めて、衆議院本会議反対討論に立ったのは、1970年(昭和45年)4月28日です。

自分の戦争体験から軍国主義復活に断固反対する立場で、自衛隊の増強計画を定めた「防衛庁設置法等の一部を改正する法律案」に反対討論をしました。

私は、日本共産党を代表して、防衛庁設置法等の一部を改正する法律案に反対するものであります。
 今回の自衛隊増強計画は、アメリカのアジア戦略が、ニクソン・ドクトリンと日米安保条約の実質上の改悪を取りきめた日米共同声明によって、新たな段階を迎えている中で行なわれているものであり、その意味するところは、きわめて重大といわなければなりません。私は、まずこの点を強調したいのであります。

 すでにグアム・ドクトリン以来、ニクソン米大統領やレアード国防長官の諸報告によって示されているとおり、ベトナム侵略政策の行き詰まりから手直しされたアメリカのアジア戦略の基本は、ミサイル迎撃ミサイルや多核弾頭ミサイル配備など、核戦力と米軍の緊急投入能力を一そう強化しつつ、同盟国による戦力の肩がわりを一そう推し進め、その戦争計画にいわゆる同盟国の軍事力を最大限に利用しようとするところにあります。
 これがアジアのいわゆる同盟国をアメリカの核のかさのもとに入れて押えつつ、アジア人をしてアジア人と戦わせようとするアメリカのアジア侵略政策の再編、強化にあることは明らかであります。

 とりわけこのような中で、ニクソン米大統領は、日米共同声明の路線に基づく日米関係の意義を強調して、日本とアメリカの提携関係はアジアにおけるニクソン・ドクトリンの成功のかぎであるとして、アメリカ帝国主義のアジア侵略政策の遂行にあたって日本の果たす役割りに、大きな評価と期待を表明しているのであります。

 今回の自衛隊増強計画は、まさにこのアメリカの新しいアジア侵略政策に積極的に呼応して、日米共同声明のもとで、自衛隊の画期的増強をはかろうとする第一歩にほかなりません。

 本案のおもな内容は、政府の海、空戦力の強化の方針のもとに、艦船、航空機の就役と組織改編に伴い、昨年に引き続いて自衛官の定数を、海上自衛隊において510人、航空自衛隊において474人増員すること、海上自衛隊に新たに予備自衛官制度を設け、陸上及び海上自衛隊予備自衛官を3300人増員すること、さらに、自衛隊の管理体制の強化を目ざして准尉制度の復活をはかることにあります。
この結果、改正後の自衛官定数は25万9000余人、予備自衛官を含めて実に29万5000余人に達するのであります。

 しかも、政府は、今国会の審議を通じて、自主防衛の強化を口実に、自衛隊の作戦区域を日本領域から公然と公海、公空にまで推し広げ、公海、公空での武力排除、制海、制空権の確保、これを公言しつつ、第四次防では六兆円をこえる軍事予算をもって、このような自衛隊の行動に即応する新戦闘爆撃機、艦対艦ミサイルを装備する方針を積極的に明らかにするなど、自衛隊の編成、装備、訓練等の全内容にわたって、侵略的、攻撃的性格を著しく強めようとしているのであります。

 また、兵器の国産化軍需産業の育成強化をはかるとともに、桜田発言に見られるように、憲法改悪への道を大きく切り開こうとしております。しかも、その軍事力増強のテンポは世界最高であり、いまや自衛隊は、アジアにおけるアメリカの反共同盟諸国の中で、事実上最強の軍事力を持つ軍隊にまで強化されたのであります。このような自衛隊の増強を、専守防衛の名でごまかすことは絶対にできません。

 それは第一に、陸、海、空軍その他一切の戦力を保持しないとする憲法第九条をまっこうからじゅうりんするものであります。
それは何よりも、アメリカのアジア侵略政策に事実上組み込まれた自衛隊が、日本とアジアの平和と安全を脅かすものとなることであり、アジアにおける緊張を激化させ、日本人民をさらに危険な方向に導くものであります。

 しかも第二に、これは国民生活に膨大な犠牲と負担を押しつける結果となるものであります。

 第三に、自衛隊の治安出動体制の強化によって、日本人民の独立と平和、民主主義と生活向上を目ざす闘争を弾圧する体制を露骨に強化しようとするものであります。
 こうして、今回の自衛隊増強計画は、安保条約とそのもとにおける日本の軍国主義帝国主義復活を新たな段階に推し進めようとするものであり、日米共同声明に基づく共同作戦体制強化の新たな第一歩となるものであります。

 日本共産党は、自主防衛の装いに隠れて打ち立てられようとしておるこのような対米従属化の軍事力増強と軍国主義復活の危険な策動をきびしく糾弾するとともに、安保条約を廃棄し、米軍基地を撤去させ、憲法違反の自衛隊を解散させ、軍国主義復活政策の主要な拠点をなくして、憲法の平和的、民主的条項の完全な実施を強く要求するものであります。
 以上を強調しまして、私の反対討論を終わります。